8.8Km 2024-11-28
ウルサン広域市プク区 サノブロ1010
+82-52-293-3500
「蔚山セブリ祭り」は悠久の鉄の歴史を誇る産業都市・蔚山と昔の人々の輝ける鉄器文化が一つとなり、歴史や産業、文化が共存する蔚山で開かれる大韓民国を代表する産業文化祭りです。人類最高の遺産・セブリの国内外への広報を通じて、地域観光活性化及び地域の伝統産業を継承・発展させる目的で毎年5月に開催されています。
セブリとは「鉄(セ)を扱う」という慶尚道の方言で、土鉄(鉄の成分が多い土)、鉄や鉄鉱石といった原料を溶解し加工する全ての製鉄作業を示す言葉です。
8.9Km 2024-01-05
ウルサン広域市トン区チュジョン洞
朱田(チュジョン)モンドル海岸は蔚山12景のひとつで、蔚山市民がよく訪れる海水浴場です。朱田は土地が赤いという意味で、地面の色が赤色を帯びています。 東海岸に沿って伸びる、直径3~6センチのまるっこい黒い砂利が敷かれた1.5キロメートルの海岸が絶景を成しています。その他、ノランバウィ、セットルバウィなど多くの奇岩怪石があります。また、朱田モンドル海岸の波の音は東区のソリ(音)9景にもなっています。
8.9Km 2021-03-05
蔚山広域市 南区 文殊路44
「文殊(ムンス)サッカー競技場」のメイン競技場は鶴のイメージで造られており、21世紀の環太平洋に向かって飛躍する産業の首都・蔚山を象徴しています。
8.9Km 2024-01-05
ウルサン広域市トン区トンヘアンロ612
人が最も心地よく感じて安心する周波数である60Hzを店名にした大型ベーカリーカフェです。アンティーク調の家具が置かれ、窓はガラス張りですべての席からオーシャンビューが楽しめます。また1階と2階はそれぞれ屋内と屋外に分かれており、1階には屋外テラス、2階にはルーフトップがあり、多彩な見どころを提供します。 ※ペット同伴不可
9.1Km 2024-04-26
ウルサン広域市トン区パンオジンスンファンドロ652 テラスパークC棟107号・110号
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9.5Km 2024-12-18
ウルサン広域市トン区ヘスヨクチャン10ギル
+82-52-716-5007
9.6Km 2025-01-20
ウルサン広域市トン区ヘスヨクチャン10ギル18
「日山(イルサン)海水浴場」は、方魚津(パンオジン)から北に1キロメートルのところにある、長さ850メートル、幅36~61メートル、面積42,500平方メートルの海水浴場です。
きれいな砂浜が広がり、7~8月の水温は21.2度、水深1~2メートルという遠浅の海水浴場で、毎年7月末には海岸祭りも開催されます。
海水浴場の周辺には大王岩公園、現代重工業もあります。また近くにある花岩湫(ファアムチュ)航路標識管理所は韓国の灯台・展望台の中で最も高いもので、展望台展示館や展望台から蔚山港(ウルサンハン)を一望できます。
10.0Km 2024-09-20
蔚山広域市 南区 黄城洞
処容岩(チョヨンアム)は蔚山広域市南区黄城洞(ファンソンドン)セチュク村前の外煌江(ウェファンガン)という川にある開雲浦(ケウンポ)という浅瀬の真ん中に浮かぶ岩の島です。
30平方メートルほどの小さな岩で出来たこの島は疫病神を追いやる力を発揮するという処容符籍にまつわる伝説が伝えられている中州で、三国遺事に書かれている処容郎の伝説と関係が深い由緒ある岩島でもあります。
新羅時代の第49代の王・憲康王(ホンガンワン・在位:875∼886年)がこの地を訪れ散策しそろそろ帰ろうかと川辺で一息ついていると、昼間にもかかわらず突然雲が立ち込め霧が深くなり、どこにいるのか見失ってしまいました。
天体観測や占星術を行っていた官職・日官(イルグァン)曰く、東海(トンへ)の海にいる龍が癇癪を起こしているためだとし、何か善行を行いこれを解かねばならないと進言しました。これを聞いた憲康王は勅命を下し、この川の近くに龍の怒りを治めるための寺を建立するよう命じると、それまで垂れ込めていた雲や霧がさっと晴れたという伝説が残っています。その伝説に登場する寺が現在の蔚州郡(ウルジュグン)青良面(チョンニャンミョン)に残っている望海寺(マンヘサ)です。また伝説の舞台となったこの場所は雲が晴れた浅瀬の浦口ということで開雲浦(ケウンポ)と呼ばれるようになりました。
川の近くに寺を建てるという新羅の王・憲康王の話を聞いた東海(トンへ)の海にいる龍の王はこのことを大変喜び、7人の王子を引き連れ海から陸にやってきて、憲康王の面前で舞を踊り音楽を演奏しました。
その7人の龍の王子のうちの1人が新羅の憲康王に従い新羅の都であった古都・慶州(キョンジュ)に入洛、憲康王の政(まつりごと)に仕えることになりましたが、その人物こそが処容(チョヨン)でした。
新羅の憲康王は自らの政の一員となった処容に美しい女性を妻にあてがい、新羅の官職のひとつである級干(クッカン)の地位まで与え、憲康王のそばに仕えさせたといいます。
ところがある日、美しい処容の妻を妬む疫病神が人の姿に変身し、夜になり忍び込み妻の寝床に入りこんで来ました。処容は外から帰ってくると、寝室で妻と疫病神が寝床で一緒に寝ている姿を目撃したにもかかわらず、処容は怒ることもなく歌を口ずさみ舞を踊り、そして部屋からすっと出ていきました。これを見た疫病神はその処容の寛容さに感激しひざまずき、これ以降、処容の姿を描いた絵を見ただけでもそこには現れなくなったと言います。
処容が自分の妻と寝床に横たわっている疫病神に向かって歌った歌が、かの有名な新羅郷歌「処容歌(チョヨンガ)」で、処容岩の前にある碑石に刻まれている歌がまさにその歌詞です。処容が舞ったという処容舞(チョヨンム)は国家無形文化財として伝承されており、また処容岩は東海の海からやってきた龍の王が7人の王子を引き連れてやってきた開雲浦ゆかりの岩として地方記念物に指定され、処容の伝説とともに巷の人々に語り継がれています。
椿や藤の木など四季を通じて青々とした木々が覆い絶景を誇る目島(モクト・天然記念物)も近くにあり、見どころが多い観光地として有名な場所です。