7.3Km 2024-06-19
ソウル特別市チュン区チョンドンギル2-1
貞洞道(チョンドンギル)はソウル市内で最も有名な散歩道のひとつで、貞洞教会前の交差点から梨花女子高等学校東門前を過ぎてセムナンギルに至る区間をいいます。この一帯は漢陽都城の西部、西大門と西小門間の城内に位置しており、城壁によって保護され、早くから王室や両班・官僚の住居空間として発達した他、宮殿と王妃陵があるなど、朝鮮時代以降の近代ソウルの歴史を記録している大きな博物館といえます。1999年にはソウル市から「歩きたい通り」第1号に指定され、この際、2車線道路を1車線一方通行道路にすると同時に歩道を拡張しました。また「落ち葉を掃かない道」に指定され、2006年建設交通部が選ぶ「韓国の美しい道100選」で最優秀賞を受賞しました。周辺には市民の憩いの場となっている貞洞公園、培材公園の他、梨花女子高等学校、芸苑学校、ソウル国土管理庁、京郷新聞社、貞洞劇場などがあります。
7.3Km 2024-02-20
ソウル特別市チュン区チョンドンギル26
梨花(イファ)女子高100周年記念館は、梨花女子高等学校の隣にあるマルチメディア教育館です。地下1階・地上5階建てで、ギャラリー、カフェ、音楽室、個人練習室、視聴覚室があります。1階と2階の和岩(ファアム)ホールは、ミュージカル、コンサートなどの公演や教育のための場所として利用されています。
7.3Km 2023-01-18
ソウル特別市チュン区セジョンデロ40
崇礼門(スンニェムン)は朝鮮時代初期の1396年に初めて築造され、1398年2月に重建された建造物です。この門は朝鮮時代、漢陽都城(ハニャンドソン)の正門として四大門の中で南側に位置し、南大門(ナムデムン)とも呼ばれました。また1448年にも大規模な修繕が行われています。以降、壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)や丙子胡乱(ピョンジャホラン=丙子の乱)の際にも南大門は被害を受けませんでした。
最初に建造されたときには門の両側に城壁が繋がっていましたが、1908年に道路を作るためにその城壁が崩され、城門のみ残り、陸の孤島のようになってしまいました。しかし2006年になり復元工事を実施、現在のような崇礼門となりました。1952年文化財保護法により崇礼門はそれまで宝物に指定されていたものを変更、国宝に改めて指定されました。
木造の建物の平面は下層・上層が5間、側面2間の大きさで、木造建物の下層・一階部分の床は木造建物の下にある虹霓門(ホンイェムン)の上にあたる中央間のみ井桁に組んだ板の間があるだけで他の部分は土の床となっており、建物2階の上層は板張りの床となっています。扁額の筆者については諸説ありますが、1614年に編纂された韓国最初の百科辞典といわれる「芝峰類説(チボンユソル)」には朝鮮時代初期の王族で太宗の長男で世宗大王の兄にあたる譲寧大君(ヤンニョンテグン)が書いたものであるという記録が残っています。四大門のうち他の門の扁額は横書きとなっていますが、崇礼門だけは縦書きになっています。これは「崇礼」の二文字が五行思想で火を意味し、景福宮と相対している冠岳山(クァナクサン)の火の勢いを抑えるためといわれています。
現存する城門の建物として韓国でもっとも規模の大きい南大門は典型的な多包様式の建物で、典型的な木造建造物の手法を取り入れている、韓国の建築史において重要な建物のひとつです。1997年初頭、ソウル特別市では崇礼門の景観をより一層素晴らしく演出するため、ライトアップ設備も新たに設置しました。また地元自治体のソウル特別市中区(チュング)は2005年10月から通路補修工事とあわせて崇礼門中央のアーチ型の門・虹霓門入口など5ヶ所の地表調査を実施、朝鮮時代の世宗大王の施政の時と思われる下部石築基壇や一番下にある基礎となる石・址台石(チデソク)、地面に敷き詰める平たい石・薄石(パクソク)、 門の両側にある柱が立てられた基礎の石・門枢石などを発掘しました。これらの発掘されたものは1907年ごろ南大門を貫く路面電車の線路を敷設する際、門の周囲に1メートルほど盛り土を行ったため基壇部分や路面に敷き詰められていた薄石などが完全に埋められ、それが発掘作業により露出したものと思われると発表しました。発掘を行った中区では人々が地表面から1.6メートル下にあるこれら遺構を見学できるよう、中央通路の試掘部分をそのまま残し、観覧施設を設けました。崇礼門の中央通路がある虹霓門に沿って見学することができます。
しかし崇礼門は2008年2月10日、放火による火災で焼失してしまいます。その後、5年3ヶ月の工期を掛けて復元作業行い、2013年に一般開放に漕ぎ着けました。2013年5月1日には崇礼門復旧を告げる「告由祭」が執り行われました。
崇礼門復元には忠清南道(チュンチョンナムド)泰安(テアン)の安眠松(アンミョンソン)が使われました。安眠松は高麗時代から王宮や船を造る際に使われてきた木材で、この復元作業で崇礼門の垂木、柱、屋根などに使われています。
7.3Km 2021-12-29
ソウル特別市 中区 世宗大路40
ソウルの中心部にある明洞、南大門、北倉洞、茶洞武橋洞一帯は多くの外国人が訪れるショッピングとグルメの名所です。韓国の代表的な商業・金融中心地でショッピング、カルチャー、アート、ファッションのメッカであるロッテ百貨店、新世界百貨店、三益ファッションタウンといったショッピングモールが集まっています。高級ブランドからカジュアルファッションに至るまで思い通りにショッピングを楽しむことができます。韓国へ来た観光客なら誰もが立ち寄るランドマークで、外国人訪問率が最も高いエリアでもあります。
韓国カトリック教会の中心・明洞聖堂から南大門路に至る明洞通りを中心に、路地ごとにさまざまな商店が並んでいます。最新の流行ファッションやアクセサリーを買うだけでなく、多彩なみどころが満載です。伝統を誇る食堂やレストラン、憩いの空間となるカフェもあちらこちらにあります。南大門市場は韓国最大の伝統市場であり、一大ショッピングタウンとしてお買い得価格で各種お土産などを購入することができます。衣類、小物、生活用品、フードなど、ないものがないほど品数が豊富なだけでなく、探せば不思議なものが溢れ出てきます。
北倉洞と小公洞一帯はロッテホテル、ウェスティン朝鮮ホテルなど高級宿泊施設や免税店などが集中している他、韓国伝統料理を提供する飲食店が多く「韓国の味」を求めてやって来る外国人観光客の足が絶えません。武橋洞と茶洞一帯は地元の人々もよく訪れる韓国ならではのおいしいものが食べられるところとして有名な地域です。
明洞・南大門・北倉洞・茶洞武橋洞観光特区の現状
範囲:明洞、会賢洞、小公洞、北倉洞、武橋洞、茶洞の各一部地域
面積:872,809平方メートル
明洞・南大門・北倉洞・茶洞武橋洞観光特区施設の現状
ロッテ、新世界など大規模デパートと在来市場、免税店、韓屋村、南山ソウルタワーなどソウルの代表的な観光スポット多数
7.3Km 2024-06-19
ソウル特別市チュン区チョンドンギル5
貞洞(チョンドン)グクシは韓牛の骨を15時間煮出した濃厚でありながらさっぱりしたスープが特徴のカルグクスが味わえる店。餃子スープにも同じ牛骨スープが使われています。餃子はお店で毎日手づくりしており、柔らかい皮とジューシーな柔らかい肉の味が楽しめます。貞洞ギャラリー、貞洞劇場、ソウル市立美術館などのある文化芸術エリアに位置しています。
7.3Km 2024-02-20
ソウル特別市チュン区ソソムンロ11ギル14
チョンソンオクは、1984年にオープンした市場風クッパのお店です。看板メニューは牛骨スープにねぎと大根をたっぷり入れた市場風クッパで、クッパと一緒に出てくる自家製キムチは、ピリッとした辛味とシャキシャキとした食感が特徴です。近くに徳寿宮(トクスグン)があり、徳寿宮の石造殿は庭園と調和した美しい風景で、フォトスポットとして人気があります。
7.4Km 2021-03-26
ソウル特別市 鐘路区 統一路18カキル16-1
+82-2-737-4434
「仁王寺(イナンサ/インワンサ)」はソウル特別市鐘路区毋岳(ムアク)洞の仁王山山麓に位置する昔ながらのお寺です。
城郭に沿って続く道を歩くと松林の合間合間からソウルのビル群が姿を見せ、そして舗装された道路に出ると、そこからは人々が暮らす俗世へと繋がっているかのようです。
城郭にもたれ眺める仁王寺の姿は朝鮮時代の画家・鄭歚(チョン・ソン)が描いた水墨画「仁王霽色図」のようで、どことなく懐かしさを感じさせます。
ソウルの中心部に最も近い位置にあり気軽に登れる山、その中腹に子孫の誕生を願う祈子信仰や土俗信仰の象徴となったソンパウィ(立岩)、そして国家守護のために建立された仁王寺があります。
風水地理で気の流れるルートが、離れたところに位置する山・祖山から手前にある山・主山に流れるという考え方がありますが、ここソウルでは昔から北西部に位置する北漢山が祖山、そして現在の大統領府青瓦台の背後・都の背後にある北岳山が主山となり、この二つの山を繋げ、気が流れていると考えられてきました。 そしてこの主山の東側にある洛山が左青龍、西側にある仁王山が右白虎となり、ソウルの風水の形を形成しています。東側の山麓は閑静で風景が素晴らしく都で一番の名勝地となり、また北側は武渓洞と呼ばれ中国の武陵桃源に次ぐほどに美しい景色を誇ったところです。
仁王山ホランイ(虎)といえばソウルに住んでいる人なら誰でも知っているほど有名で、ソウルを一望できるところといえば知らない人はいないほど有名な山がここ仁王山です。
朝鮮初期の朝鮮の王・太祖が景福宮を守護する目的で建立した仁王寺は、多くの人々が訪れるソウル四大門の内側に位置する寺院でした。
仁王寺に上りソンパウィから眺めるソウルの景色は数多くのブロックを積み上げたようなビルが軒を連ねていますが、遠く聳える北漢山の普賢峰を中心に西側に続く碑峰(ピボン)稜線の風景は、まさに遠い昔の朝鮮と現在のソウルがクロスオーバーしたタイムマシーンに乗ったような気分になります。
誰でもすぐに登ることができ都心から簡単に訪れることができるソウルの名山の山中にある仁王寺は、ソンパウィ・国師堂と呼ばれる山岳信仰と仏教が結びついた信仰地であるのと同時に特徴的な伽藍(寺院の建物)から構成されていることでも有名です。
また5つの宗派の11の庵子(寺院の小さな建物)が仁王寺というひとつのお寺に共存していることも特筆すべき点です。初めて寺を訪れる人はどの寺で感じることがない不思議な空間に戸惑うこともありますが、ソンパウィへ上る途中でさまざまな建物の独特な様式や仏様を拝むことができる素晴らしさがあるところでもあります。
ちょっとした迷いごとや古の人々の国を守る心意気を感じてみたい、そんなときいつでも気軽に登ることができる、それが仁王寺です。 仁王山に遠いその昔突き出すように現れた霊験あらたかなソンパウィ、そして漢陽(ソウルの昔の名称)を守るべく建立された仁王寺。これまでの500年間、そして現在でも景福宮を守護すべく昔ながらの場所に建ち続けています。