2021-04-21
仁川広域市 江華郡 三山面 三山北路 9
+82-32-934-7500
席毛島(ソンモド)は江華郡の外浦港から西側1.2キロメートルのところにある島で、面積は42.841平方キロメートル、海岸線の長さは41.8キロメートルあり、島でもっとも高い山は上峰山(316メートル)です。
2021-07-20
仁川広域市 江華郡 華道面 摩尼山路675番キル18
「摩尼山(マニサン)」は標高496.4メートルで、江華島で最も高い山です。山一帯は1977年に国民観光地に指定されました。頂上に登ると京畿地域の周辺景観を一望でき、また、登山道がよく整備されていることからハイキング客に人気があります。摩尼山には浄水寺と塹城檀があります。浄水寺は摩尼山東側にある高麗時代の寺で、大雄殿の縁側に座ると日の出の壮観な景色を見ることができます。浄水寺は大雄殿の美しいハスの花の彫刻も見どころです。摩尼山頂上の北西側にある塹城檀は過去に檀君が空に祭祀をあげたところです。現在も毎年開天節になると檀君に祭祀をあげ、全国体育大会の時にはここで聖火を採火して奉送しています。祭壇は白頭山と漢拏山の中間に位置しており、黄海の島々と内陸の姿を一目で見ることができる重要な地点です。ここで高句麗、百済、新羅の王も祭祀を行ったといわれています。摩尼山に登る登山道は傾斜の緩い道と、階段の道に分かれます。階段の道は傾斜がきついですが頂上に登ると山と海の展望が美しく人気があります。また、摩尼山には松と杉の木が生い茂る「摩尼山治癒の森」もあります。
2025-07-14
インチョン広域市カンファ郡キルサン面チョンドゥンサロ37-41
「伝灯寺(チョンドゥンサ)」は、江華島の南側、鼎足山に位置する千年古刹です。高句麗の阿道和尚が建てたと伝えられており、高麗の忠烈王の貞和王妃が仏殿に玉灯を献納して以来、伝灯寺と呼ぶようになりました。
伝灯寺は大雄殿(宝物)と薬師殿(宝物)をはじめとし、見どころの多い寺です。特に、大雄殿には他の寺では見られない珍しい彫刻があります。軒下の裸体女人像と柱の上の人物彫刻がそうです。この人物彫刻には伝説があります。昔、大雄殿を建てる時に棟梁がふもと町の酒場の女性に心を奪われ、稼いだ金を女性に全部やったのに逃げられました。それで棟梁は病気になり、その仕返しに女性の裸の姿を徹夜で彫って、重い軒を支えさせたということです。
もう一つの見どころである薬師殿は、建物の中の彫刻が美しいことで有名です。天井は井の字型に設計し、その周りは豪華な彫刻と彩色を加え、蓮の花や飛天などが彫られています。寺の庭には中国、宋の国の梵鐘があります。全体の高さ1.6メートル、口径1メートルほどのこぢんまりした鐘です。
伝灯寺は境内だけでなく、周囲の景観が美しいことで有名です。特に海が見下ろせる伝灯寺での朝夕の景色はたいへん壮観で、ここからの日の出は全国的に有名です。
2023-03-21
インチョン広域市カンファ郡カンファ邑カンファデロ
江華島(カンファド)は面積410平方キロメートル、南北の長さ27キロメートル、東西の長さ16キロメートルで、韓国で5番目に大きな島です。1970年1月26日に江華橋が完成して陸地と繋がりました。その後拡張工事が行われて1997年12月31日に江華大橋となり、ソウルや仁川からの行き来がさらに便利になりました。江華島の南側にある摩尼山の頂上には檀君王倹が祭祀を行うためにつくられたという塹星壇があります。また、島の海岸や江華邑には、高麗時代から近代に至るまで数多くの国難を経験した歴史遺跡が残っています。江華島の特産物である高麗人参と花ござは海外にも広く知られています。江華島にある内可貯水池や分五里貯水池は釣り場として有名です。
2020-03-16
仁川広域市 江華郡 江華邑 山3番地
+82-32-930-5464
江華山城(カンファサンソン)は高麗、高宗19(1232)年に江華島に遷都した後、蒙古に対抗するために土で建てた土城です。内城は首都移転と同時に取り壊され、朝鮮時代(1392-1910)初めに新たに土城として改築されました。以降、何度も破壊と改築があり、初期には土城として作られましたが朝鮮初期には石城として改築されました。
江華山城はもともと内城と外城がありましたが、現在残っているのは石で積み上げた内城だけです。城の周りは約1.2キロメートル、中城は周りが約9キロメートルの土城で8つの門が四方にありました。外城は江華の東側海峡に沿って作られた巨大な規模の土城でしたが、現在は残っていません。内城も1977年まで何度もの補修工事を経て今日に至りましたが、東側の城は復元できませんでした。
城の四大門としては、南門の晏波楼、西門の瞻華楼、東門の望漢楼、北門の鎭松楼がありますが、東門は今はありません。現在、西門には歴史的な錬武堂跡が残っています。ここは兵士たちが訓練していた所で、1876年日韓修好条規が締結された所でもあります。
江華山城は、城郭と周辺の景観が美しく調和し、散歩やドライブコースとして人気があります。
2025-10-23
仁川広域市 甕津郡 白翎面 白翎路
「白翎島(ペンニョンド)」は黄海最北端に位置する島で北韓に最も近く、広さは50.98平方キロメートルです。もともと島の名前は鵠島(コクト)でしたが、トキが白い羽を広げて空中を飛んでいるように見えることから白翎島と呼ばれるようになりました。この島は、軍事的に非常に重要な場所であるため、島に入るには手続きが必要となります。
島の西側、頭武津には高麗の忠臣・李大期 が『白翎志』で「老いた神の最後の作品」と表現した程に不思議な形をしたソンデ岩や、兄弟岩、コッキリ(象)岩、将軍岩などさまざまな形の岩があります。龍器浦港横には珪藻土浜辺(サゴッ海岸)があり、世界でも2ヶ所にしかない天然滑走路として知られています。長さ3キロメートルで、引潮時には300メートル以上しっかりした道ができ、車道としても使え、また軍輸送機の離着陸も可能です。白翎島は韓国の代表的な古典小説『沈清伝』の舞台として知られ、主人公の沈清が身投げした印塘水が見られる他、2階建ての沈清閣を建立し、サゴッ天然飛行場、頭武津などをまわる白翎島一帯に観光コースが設けられています。その他、鎮村里北側の海岸には韓国唯一のアザラシの棲息地があるなど、甕津郡の島の中でも自然がそのまま保たれており、観光開発資源が豊かな所といえます。
2024-09-04
キョンギ道コヤン市トギャン区ソデムンギル375
北漢山城(プクハンサンソン)は百済が河南慰礼城に都邑を移した際、都を守る北方の山城として、百済時代の蓋婁王5(132)年に築城しました。この時、百済の主力軍がこの山城で高句麗の南進勢力を防ぎました。
しかし長寿王63(475)年に強大な高句麗軍が北漢山城を7日間に渡り攻撃し熾烈な攻防戦の末、城が陥落、同時に百済の都も占領され、百済の王・蓋鹵王が高句麗軍に囚われの身となりその後殺されました。
この戦により百済は公州(コンジュ)・熊津城(ウンジンソン)へと遷都し、その後百済と新羅は手を結び、高句麗の南進政策を連合して戦線を張り、防ぎました。
真興王12(553)年、新羅は百済の領土であった漢城地域(現在のソウル)を新羅の領土に編入しました。
真平王25(603)年8月には高句麗の将軍・高勝(コ・スン)が新羅が主となった北漢山城を包囲・攻撃を開始、これに対し新羅の真平王は1万人の兵力を従え援軍を送り戦いました。
その後も武烈王8(661)年5月には高句麗の将軍・悩音信(ヌェウムシン)が中国東北部・沿海州にいた民族・靺鞨(マルカル)の将軍・生偕(センヘ)とともに北漢山城を20日間に渡り包囲・攻撃し熾烈な攻防戦を繰り広げました。
この時、北漢山城の城主であった冬陀川(トンタチョン)は城内にいた住民2,800人とともに決死の決戦を敢行し、山城を守りました。
主な文化財
1) 北漢山真興王巡狩碑址(史跡)
2) 磨崖如来坐像(宝物)
3) 磨崖如来立像(宝物)
4) 太古寺円証国師塔碑(宝物)
5) 太古寺円証国師塔(宝物)
6) 蕩春台城(地方文化財)
7) 燕山君墓(史跡)
2021-08-12
仁川広域市 中区 雲南西路100
+82-32-745-0211
「永宗島(ヨンジョンド)」は、永宗大橋を介して陸地と、干拓工事により龍遊島や三木島と繋がる島です。仁川沿岸部から北西に3キロメートルほどの場所にあり、干潟や海が広がります。永宗島の魚市場ではヒラメやカレイ、カニ、ナマコ、ホヤのような近隣の海で獲れた新鮮な海産物を購入するだけでなく、刺身にしてその場で楽しめます。
永宗島中央には海抜156メートルの白雲山がそびえており、その周囲に循環道路があります。白雲山は大院君が10年あまり住んでいた竜宮寺と薬水岩が有名なところです。また、竜宮寺の前には1300年の樹齢を誇るケヤキの木があります。白雲山の頂上に登ると仁川国際空港をはじめとした周辺の景色が一目で見ることができます。
2023-11-28
インチョン広域市チュン区ウォルミムンファロ36
「月尾島(ウォルミド)」は仁川沿岸1キロのところにある島です。道路が造られ陸続きとなっていることから交通も便利で週末になると多くの人が訪れます。カフェや刺身屋、食堂が密集しており、海を見ながら食事を楽しむことができます。また、文化の通りには「出会いの場」、「文化芸術の場」、各種公演のための「演出の場」があり、市民の文化意識を高め、地方での芸術文化に触れる機会の創出に寄与しています。
2024-01-26
ソウル特別市チョンノ区テハクロ104
ソウル市民のための文化芸術の拠点としてスタートした「マロニエ公園」は、昔のソウル大学法学部、文理学部があった位置にあります。マロニエの木が生えていたことからマロニエ公園と名づけられました。各種文化催事場、彫刻展示場、文芸会館などがあり、ここはソウル市民の夢とロマンがあふれる文化芸術の街として独特の雰囲気を醸し出しています。特に、週末になると多くの人が集まり、文化を共有する場所となっています。バンドや歌手を目指す人の公演や、ダンスグループやコメディアンがここで公演を開いたりもします。豊かな木々に囲まれたマロニエ公園のベンチに座り、一休みしたり散歩を楽しんでいると、大学路(テハンノ)の若者の熱気が伝わってくるでしょう。大学路は演劇で有名なスポットで、文化公演の中心空間としてさまざまな公演を楽しむことができます。また異色のレストランやカフェが密集しており、若者たちが多く訪れる名所でもあります。