観光 - 韓国旅行情報

仙遊洞渓谷(山清)(선유동계곡(산청))

仙遊洞渓谷(山清)(선유동계곡(산청))

2022-07-08

キョンサンナム道サンチョン郡シナン面スウォルロ

仙遊洞(ソニュドン)は、天女が舞い降りてきて遊んだといわれるところです。
渓谷に天女が酒を作って入れておいたといわれる2つの甕が今もあると伝えられており、滝の左側にある巨大な岩を見ると、直径50センチ、深さ約2メートルの甕の形をした巨大な穴があります。

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

七甲山道立公園(칠갑산도립공원)

2024-11-28

忠清南道 青陽郡 大峙面 長谷キル 241
+82-41-635-7690

七甲山(標高561メートル)は小高い頂と渓谷がある天然林が生い茂る名山です。
1973年3月6日に道立公園に指定された七甲山道立公園は、面積32.542平方キロメートルを誇り、三つの面(ミョン=韓国の行政区域のひとつ)に広がっています。
七甲山道立公園内には山頂、九十九谷、七甲山荘(崔益鉉銅像、『七甲山』歌謡彫刻品など)、チャンスン公園、天庄湖(チョンジャンホ)、長谷寺(チャンゴクサ)、定慧寺(チョンヘサ)、自然休養林、 道林寺址(トリムサジ)、豆率城(トゥユルソン)などがあります。
特に七甲山は四季の移ろいが明瞭で、春にはチョルチュク(クロフネツツジ)や桜に彩られ艶やかな風景となり、夏には緑生い茂る天然林が人々に癒しをもたらし、また秋には色とりどりの紅葉で彩られ、冬の雪景色は天上の世界にやってきたかのような美しい景色が見られるなど、一年を通じて登山で訪れる人々に七甲山ならではのすばらしさを感じさせてくれる名山です。七甲山には七つの登山路があり、それぞれ特徴があるコースとなっています。登山者に合ったコースを選ぶことができることから、年々登山客が増えています。また国民的な歌ともなった『七甲山』のヒットにより一層七甲山に親近感を抱く人々が増えました。

* 七甲山の由来 *

韓国の人々は古の時代から天と山を崇め奉ってきました。百済はこの山を百済の都に築かれた泗沘城(サビソン)の真北にある鎮山として聖なる山と捉え祭天儀式を行いました。
そのため、山の名称を万物生成の七大原理の七の字と、芽吹くという意味の甲の字を用い、生命の始まりという意味で七甲山と敬い、そう呼んできました。また七人の将帥が現れるという風水地理的に素晴らしい土地・明堂(ミョンダン)がある山とも伝えられています。
忠清南道(チュンチョンナムド)の中央に聳える七甲山の周囲には、東側に兜率城址(トソルソンジ=慈悲城[チャビソン])や道林城址(トリムソンジ)、南側に金剛寺址(クムガンサジ)や天政台(チョンジョンデ)、南西側に定慧寺(チョンヘサ)、西側に長谷寺(チャンゴクサ)など百済の人々の魂が宿る悠久の史跡が数多く点在しています。

七甲山は1973年3月道立公園に指定され、 今では国民的歌謡ともなった『七甲山』の曲とともに、百済の人々の魂が宿る聖なる霊験あらたかな山として知られています。
七甲山は元々、七岳山(チラクサン/チルアクサン)と呼ばれていました。韓国の名山の名称には岳の字が入ることが多く、雪岳山(ソラクサン)、冠岳山(クァナクサン)、月岳山(ウォラクサン)などがその代表です。
歴史的に見ると、朝鮮時代の地理書「東国輿地勝覧」の巻之十八・定山県山川編に「七甲山 左県西十六里有古城其号 慈悲城 又見 青陽県」との記述があり、七甲山は県の西・16里(註:韓国の1里は約400メートル)に位置し、昔の城跡がある場所で、慈悲城(チャビソン)と呼ばれていたことがわかります。
この慈悲城は別名・兜率城(トソルソン)とも呼ばれていました。寺の周辺を城で囲む形となっており、これは全国でも大変珍しい事例です。後世に伝えられている話としては、百済の王子あるいは王族の教育を行っていた寺であったという説や、国家の重大事を執り行ったり外国の使臣をもてなした三国時代の仏教全盛期の遺跡だった説など諸説あります。
ここひとつ注目すべき点は、百済時代に築城した兜率城と、新羅時代の韓国固有の詩歌・郷歌(ヒャンガ)の一つ「兜率歌(トソルガ)」という名称に「兜率」という言葉が共通して入っている点です。兜率は元々、梵語(サンスクリット語)の音訳で、知足、妙足などと意訳され、弥勒菩薩がいる天という意味です。

新羅時代の瑠璃王(ユリワン)5年に詠われたという兜率歌は、三国時代の詩歌の中でも最初の定型詩で、ここに登場する「漆岳(チラク/チルアク)」が今日の七甲山の旧名です。
その後、百済の都が扶余(プヨ)に定められると、 百済時代の山川崇拝思想により、名山大川に祭礼を行う行事が国政の大きな位置を占めるようになりました。このため国を挙げて信仰の対象となった漆岳山の名称を、仏教最高の神聖なる意味を持つ漢字を当てた名称・七甲山に変えたのです。
つまり、「漆」の字を同じ読みの「七」の字、この「七」の文字は天地万物が生成されるという北斗七星にちなんで名付けられた神々「七元星君」あるいは「七星」にも通じる文字で、また「甲」の字は天体の運行の原理となる六十甲子の根本である「甲」の字に由来したと言われています。
また、別の見解では錦江(クムガン)上流の之川(枝川=チチョン)を見下ろす、七人の将帥が輩出されるという甲の字の形をした地形に風水地理的に素晴らしい場所・明堂が七か所あり、七甲山と呼ばれたという説もあります。

瑞山 龍賢里 磨崖如来三尊像(서산 용현리 마애여래삼존상)

瑞山 龍賢里 磨崖如来三尊像(서산 용현리 마애여래삼존상)

2022-08-29

忠清南道 瑞山市 雲山面 磨崖三尊仏キル 65-13
+82-41-660-2538

国宝第84号に指定されている磨崖如来三尊像(マエヨレサムジョンサン)は百済時代の微笑がどんなものであったかを感じることができる百済時代後期の作品です。仏像の顔は太陽の光が当たる角度によって、時に厳しく、時に優しく、様々に変化すると言われています。
龍賢渓谷を渡り階段を上り岩山を登ると、岩山に刻まれた仏像に出会うことができます。本尊である釈迦如来立像を中心に右側には弥勒半跏思惟像、左側には提華褐羅菩薩像があります。仏像の光背まで生き生きと保存されていて、特に本尊の光背の蓮の花の模様はとても美しい状態で保存されています。

徳山道立公園(덕산도립공원)

徳山道立公園(덕산도립공원)

2024-09-11

忠清南道 礼山郡 徳山面

「徳山(トクサン)道立公園」は徳山面の柿梁里、斜川里、屯里、上加里、光川里などを含み、1973年に道立公園に指定されました。公園内には元暁峰、石門峰、韓国・湖西地方の小金剛と呼ばれる徳崇山、ヘテ岩など美しい渓谷や滝や修徳寺があります。
修徳寺の大雄殿は浮石寺の無量寿殿、安東市の鳳停寺の極楽殿とともに現存する高麗時代の木造建築です。大雄殿は1936年から4年間、寺を修復し大きな梁から出てきた墨書で、高麗時代の忠烈王朝34年(1308年)に建立されたということが分かりました。
国宝である大雄殿は、現存している高麗時代の建築物の中でも特異なもので、百済の様式のような曲線が建物にみられます。また間口3間、奥行4間の平屋の切妻造りで荘重な趣があります。

※徳山道立公園は1990年11月1日から、炊事行為が全面禁止されています。

徳崇山地区:修徳山、歓喜台、見性庵、金剛岩、定恵寺、小林草堂、萬恭塔、一柱門、尼寺など
伽耶山地区:伽耶寺址、玉渓貯水、南延君の墓、サンファン寺址、報徳寺、五十道岩、オギャンの滝、亀岩、高麗チャギ墓地

主要文化財
修徳寺の大雄殿(国宝)、修徳寺の大仏、三重の石塔、七重の石塔、六槐亭、 満空禅師の舎利塔、ファンハ楼、聖宝博物館

竹島(保寧)(죽도(보령))

竹島(保寧)(죽도(보령))

2021-06-02

忠清南道 保寧市 藍浦面 藍浦防潮堤路 408-54
+82-41-932-2023

「竹島(チュクト)」はその名の通り竹の多い島です。防潮堤がつくられた後には陸地とつながり、その道路がドライブコースとなっており、保寧地方の新しい観光地として人気を集めています。

武昌浦海水浴場(무창포해수욕장)

武昌浦海水浴場(무창포해수욕장)

2024-05-30

チュンチョンナム道ポリョン市ウンチョン邑ヨルリンパダ1キル 10
+82-41-936-3561

「武昌浦(ムチャンポ)海水浴場」は、朝鮮時代の軍倉址であり、1928年に西海岸で初めて開放された海水浴場です。砂浜は長さ1.5キロメートル、水深1~2メートル程度と浅く、海水浴場の周辺に松林が茂り、海水浴と森林浴を同時に楽しめます。毎月引き潮の時にはこの海水浴場から無人島であるソクデ島までの1.5キロメートルに渡り、韓国版モーゼの奇跡と呼ばれる海割れ現象が見られることでも有名で、1996年から本格的に一般公開されています。

灌燭寺(論山)(관촉사(논산))

灌燭寺(論山)(관촉사(논산))

2023-05-11

忠清南道 論山市 潅燭路1番キル25

灌燭寺(クァンチョクサ)は論山(ノンサン)市内から3キロメートル程離れた般若山にあるお寺です。昔中国の智安という名僧が寺内に建てた「石造弥勒菩薩立像」を見て、それがあたかもロウソクの明かりのように光るといってこの寺を灌燭寺と名づけたといいます。この像は韓国で最も大きい石仏であり、次のような伝説も残されています。昔ある女が般若山で山菜採りをしていた時に赤ちゃんの泣き声を聞きました。不思議に思った女はその泣き声の元に行ってみましたが、赤ちゃんの姿はなく、かわりに大きな岩が土から出ていました。この話を聞いた役人はこの岩で仏像を作るように命じ、それで作られた像がこの石造弥勒菩薩立像だということです。

東江(寧越)(동강(영월) )

東江(寧越)(동강(영월) )

2024-04-22

カンウォン特別自治道ヨンウォル郡ヨンウォル邑トンガンロ826

東江(トンガン)は江原道一帯を流れる南漢江のひとつの支流で、旌善から寧越まで流れる約60キロメートル区間を指します。ここは現在も汚染されていない自然が残っていますが、これは水の流れが速く、周辺の山並みが険しいため人の立ち入りが困難だったためです。今でも蛇行するように流れる東江沿いには絶壁があり、カワウソやオシドリ、ホトトギスをはじめとする見る機会の少ない動植物を見るために多くの観光客が訪れています。
また代表的な名所としては朝鮮6代王の端宗が幽閉されて暮らした清冷浦やラフティングのコースとして人気の魚羅淵渓谷などがあります。

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

ソウル貞洞教会(서울 정동교회)

2020-08-31

ソウル特別市 中区 貞洞キル46

ソウル貞洞教会は韓国で最初のプロテスタント系の教会です。1885年、アメリカのメソジスト監理教会の宣教師アペンゼラーは、韓国に入国し培材学堂を建て、近代教育を始めました。彼は学校で宗教活動をしましたが、礼拝のための建物も購入し、ベゼル礼拝堂と名付け、1887年から礼拝を始めました。教員たちが増えるにつれて500名ほどを収容できる規模の教会の建設が必要になり、1895年に工事をはじめ、1897年12月26日に奉献式を開きました。この建物は現在まで唯一残る19世紀の教会建築です。
建物の構造は1階建てですが、天井が高く2階建てに見え、南側の鐘つき堂は3階建てです。アメリカ式の単純化されたゴシック様式で、建設当時の写真を見ると、近所の瓦屋や徳寿宮とも調和しています。ここでは多くの討論会や音楽会などが開かれ、キリスト教文化の受容と民族意識の鼓吹に大きく貢献しました。竣工当時は十字型で115坪だったものを1926年に両側部分を建て増しし、現在は175坪ほどになりました。建て増しという形式のため、竣工時の建物は当時の姿のままで、損傷はありません。建物はレンガ造りで、所々にアーチ型の窓を作りゴシック様式の単純化された教会堂の姿を作り出しています。レンガをまっすぐに積んだ造りからは、朝鮮時代の木造建築の職人の技が垣間見えます。この教会堂の鐘は装飾のない内部の柱とともに素朴な雰囲気を持っています。全体的に素朴な雰囲気を持っている北米系統の単純化された教会建築です。

所有者:監理教財団
面積:1,143.8平方メートル

大川海水浴場(대천해수욕장)

2024-05-30

チュンチョンナム道ポリョン市マッドロ123

大川(テチョン)海水浴場は、1930年代から外国人向けの休養地となっていた西海岸最大のビーチです。砂浜の長さだけで3.5kmに達し、幅も100mあります。遠浅になっていて、砂質がきれいです。ここでは多宝島(タボド)の向こうに夕陽が沈む美しいサンセットが楽しめます。大川海水浴場は大きくノウル(夕焼け)広場とマッド(泥)広場のエリアに分かれていて、避暑シーズンにはそれぞれ異なるイベントなどが開催されます。毎年開かれる保寧(ポリョン)マッドフェスティバルは、韓国を越えて世界の人々の関心を集めています。マッド検問所、マッドディスコテックなど、保寧のマッドをテーマに多彩なイベントが繰り広げられます。海水浴場の端には保寧マッド体験館があり、マッドサウナ、マッドオンドル部屋、マッドセルフパック、マッドマッサージなどが体験できます。