2019-06-21
京畿道 果川市 大公園広場路 102(莫渓洞)
+82-2-500-7338
ソウル動物園を囲む清渓山(チョンゲサン:621m)の天然林に造成された森林浴場は、マツ、アズキナシ、ダンコウバイ、ミズナラ等、470種あまりの植物とリス、ノウサギ、チョウセンイタチ、タヌキが生息しています。また、キジ、コノハズク、ヤマゲラなど35種の鳥類も巣を構え生息するなど、自然学習に最適の場として脚光を浴びています。登り坂と下り坂が交互に続く細い山道は全長6.3㎞、合計4つの区間から構成されています。短いコースで50分、長くて2時間30分の散策コースを選択し、森林浴を楽しむことができます。仙女池の森、ふれあいの森など11のテーマからなる休憩スペースもあります。特に「考える森」付近には裸足で歩くことができる450m程の区間があります。黄土の上を裸足で歩くことで、自然の土の感触を満喫することができます。氷の谷の森、オシドリの森、泉などの休憩施設も完備されています。
*森林浴とは?
緑の深い森の中で木の香り(フィトンチッド)を楽しんだり、肌へ吸収させ、澄んだ空気や神秘的な音色、美しい景観とによって心身の安らぎを育む天然健康法です。初夏から秋の終わり頃までが最適で、吸汗速乾性の良い身軽な服装をおすすめします。
*フィトンチッド-植物が育つ過程で自らを保護するために発散する殺菌、殺虫成分
2024-04-08
京畿道 平沢市 中央市場路32
松炭観光特区(ソンタンクァングァントック)は、米軍基地を中心として造成されたショッピング・文化の通りです。梨泰院(イテウォン)の路地とよく比較され「リトル梨泰院」とも呼ばれています。米軍基地を中心にショッピングと多様なレストランが並んでいる新場地区(シンジャンジグ)と、平沢(ピョンテク)市議会の前に伸びている通りで、さくら道が広がる西井地区(ソジョンジグ)に分かれています。
2025-03-18
カンウォン特別自治道チョンソン郡コハン邑ハイワンギル424
+82-1588-7789
ハイワンリゾートはカンウォン(江原)道チョンソン(旌善)郡コハン(古汗)邑にあり、スキー場やゴルフ場、カジノ、宿泊施設を揃えた大規模な総合レクリエーション施設です。「常に一番高い頂上」という意味を持つハイワンは、ハイワンリゾートを中心にカンウォンランドコンベンションホテル、カンウォンランドカジノ、カンウォンランドホテル、ハイワンスキー場、ハイワンC.C、ハイワンホテル、バレーコンドミニアム、マウンテンコンドミニアムなどを揃えた文化観光レジャーリゾートです。ペグンサン(白雲山)麓のチジャンサン(地蔵山)の山頂(1,345m)から始まる、長さ4.2kmの初心者用スロープをはじめ、18面のスロープと3機のゴンドラ、そして7機のリフトがスキー場をクモの巣のように繋いでいます。2つのホテルと3つのコンドミニアムの客室は計1,577室。他にも18ホール規模のゴルフ場と、伝統韓定食レストランの雲岩亭など豊富な利便施設は国内や海外観光客から高い評価を受けています。同リゾートはソウルから234km離れていますが、ヨンドン(嶺東)高速道路の4車線拡張により道路網が拡充すると同時にアクセスが良くなり、首都圏から3時間で行くことができます。チョンソンレールバイク、アラリ村、アウラジ、カリワンサン(加里王山)自然休養林、チョンソン5日市、すすきが美しいミンドゥン山、ラフティングで有名なトンガン(東江)、血染めのもみじが見られるチョンソンのソグムガン(小金剛)、金鉱と天然鐘乳洞のあるファアム(画岩)洞窟など、周辺の観光資源がとても豊富です。
2024-12-02
京畿道 利川市 京忠大路2709番キル 152
+82-31-634-6770
京畿道利川市官庫洞に位置する「雪峯(ソルボン)公園」は雪峯山と雪峯湖が一体となった場所で、利川の代表的な公園施設です。湖沿いの散歩道を運動したり散歩する人が多く、世界陶磁器ビエンナーレや毎年開催される利川陶磁器祭り、利川米文化祭りの開催地でもあります。また、奇岩怪石や湧き水、雪峯山城や映月庵などの見どころがあります。
2025-03-22
忠清南道 扶余郡 扶余邑 ナルト路60
+82-41-830-2880
大王国の意味が込められた「クドゥレ彫刻公園(クドゥレジョガクコンウォン)」。
扶蘇山の西のふもとにあるクドゥレは白馬江と調和のとれた優れた景勝をなし、彫刻公園が整っていて、たくさんの人が訪れる安らぎの空間となっています。クドゥレナルは百済時代に都城だった泗沘城を出入りするような大きな渡船場でした。現在は白馬江を行き来する船着場となっており、その周辺は伝統料理や珍味が楽しめる食堂が数多く構えています。1985年度に国民観光団地としてクドゥレが造られ、古く百済人の彫刻技術を受け継いだ、この地域出身の有名な作家の作品30点と、1999年度国際現代彫刻シンポジウムに参加した国内外の有名な彫刻家の作品29点など、全59点の彫刻作品が展示され、昔ながらの情緒と現代的な美を兼ね備えた公園となっています。常に観光客のために解放されており、見る者の目を楽しませてくれます。また、ここは扶余の人々の憩いの場でもあり、「白馬江と水鳥がなき、一葉扁集、帆船を一人漕いでいく船頭」に始まることで広く知られる「白馬江月夜の歌碑」が建てられています。
なぜ「クドゥレ」というのか。
百済時代 、支配族はオラハ(於羅瑕)、百姓はコンギルジ(鞬吉支)と呼ばれていました。クドゥレというのは、「オラハ」の前に王称語「ク(大)」がつき、二語の間に持格促音の「ㄷ(d)」が入って「クドラハ」となり、更に縮まって「クドゥレ」に変遷されたと言われています。また、「クドゥレ」は「大王」を意味しており、日本書紀に百済を「くだら」と呼ぶ場面が多く表れるのも、大王国を意味し、高めて呼んでいたとみることができます。
2022-09-19
ソウル特別市チョンノ区サジクロ89
鐘路区ではタプコル公園、社稷公園、三清公園といった3つの公園が有名です。政府総合庁舎の西側、仁王山南東のふもとにある総面積188,710平方メートルの「社稷公園(サジクコンウォン)」は朝鮮の太祖、李成桂が1395年に宗廟とともに最初に造った社稷壇(史跡)を中心に造られた公園です。社稷の「社」は地の神、「稷」は五穀の神を意味しており、これらの神々を祭り、豊年を祈願したのが社稷壇です。子どもの遊び場、栗谷・李珥(ユルゴク・イイ)と申師任堂の銅像、弓場跡(黄鶴亭)、市立子ども図書館などがあり、壇君聖殿、鐘路図書館などが隣接しています。社稷公園の隣の仁王山の道に沿って5分ほど上っていくと仁王山へと通じる登山コースが見えてきます。
2021-11-23
全羅南道 霊光郡 仏甲面 仏甲寺路450
仏甲寺は仏甲山(516メートル)のふもとに位置しています。百済枕流王の時代(384年)にインドの僧マラナンタ尊者が百済に仏教を伝え、最初に建てた仏法道場で、寺の名前を仏陀の仏、最初という意味の甲から「仏甲寺(プルガプサ)」と呼ぶようになったといわれています。石階段を登り、最初に目に入る天王門の中には、木造の四天王像が安置されています。これは道詵国師が創建した全羅北道興徳の烟起寺にあった朝鮮中期の作品で、高宗7年に雪竇先師が仏甲寺を修復し、廃寺となった烟起寺から移したと伝えられています。
仏甲寺の境内でまず目に入るのが一柱門の周囲にある暖帯林で、空が見えないほど生い茂り、天然林を形成しています。仏甲寺の文化財のひとつである仏甲寺大雄殿(宝物)は、丹青を塗られていないため、より古風な趣を醸し出しています。特に大雄殿の軒の彫刻と蓮の花の模様が美しく彫刻されており、大雄殿の桟なども丹精を込めてつくられています。大雄殿は正面3間、側面3間の八作屋根の建物であり、正面と側面、および中央の間の片門が蓮華文、菊花文、宝相華文で飾られています。
寺には、万歳楼、冥府殿、一光堂、八相殿、七星閣、寮舎などがあり、寺の外の小道に沿って少し登っていくと、天然記念物に指定されているシロダモの木があります。シロダモはクスノキ科に属する常緑広葉樹で、10月~11月に雄花と雌花がそれぞれ違う株に咲き、翌年10月頃に実が赤く熟し、花と実を楽しむことができます。
仏甲寺シロダモ自生地
天然記念物。シロダモは常緑広葉樹で、仏甲寺が北の分布境界線です。この木は新羅法興王時代のキョンウン僧侶とインドのジンヒス姫との切ない愛の物語にも描かれています。硬い木材で、家具材として使われており、楕円形の実は数珠玉に使われています。
仏甲寺ヒガンバナ自生地
ヒガンバナは曼珠沙華とも呼ばれています。仏甲寺地域は高敞の禅雲寺、咸平の龍泉寺などとともに全国最大級の群生地で、開花期にはヒガンバナで辺り一面が真っ赤に染まります。
2021-07-31
京畿道 楊州市 長興面 護国路 255-41
朝鮮時代の第11代の王・中宗(チュンジョン=1488~1544年・在位1506~1544年)の王妃(正室)端敬王后(タンギョンワンフ=1487~1557年)慎氏(シンシ)の陵です。
朝鮮時代第10代の王・燕山君(ヨンサングン=1476~1506年・在位:1494~1506年)治世の時代に左議政という高い官職にあり、その燕山君の次男である慎守勤(シン・スグン)の娘として生まれた端敬王后は、1499(燕山君5)年13歳という若さで晋城大君(チンソンテグン=後の中宗)と結婚、その後起きた反正(政変=中宗反正[チュンジョンパンジョン])により燕山君から王位を奪い、晋城大君が王位に就き中宗となると王妃となりました。
しかし政変の過程で政変を主導した勢力が、退位させられた燕山君の側近で端敬王后の父・慎守勤を殺害、その娘で王妃となった端敬王后は逆賊の娘ということですぐさま王妃の位を追われました。
その後、端敬王后は1557(明宗12)年にこの世を去り、一度は慎氏の墓に埋葬されましたが、1739(英祖15)年に復位され、廟号(贈名)を端敬、陵号を温陵(オンヌン)としそれ以降、端敬王后が眠る陵を温陵と呼ぶようになりました。
陵の裏手は曲垣で囲い、石羊(ソギャン)・石虎(ソコ)をそれぞれ1対、陵の左右に陵を守る形で配置、陵の手前には供え物などを置く平たい石・床石(サンソク)と墓前に建てる石灯篭・長明灯(チャンミョンドゥン)を設け、このほか陵の周囲には墓の両脇に建てられる一対の石柱・望柱石(マンチュソク)、文官の形をした文石(ムンソク)、馬の形とした馬石(マソク)なども建てられました。
動物の形の彫刻を半分に減らしているのは、妃陵として奉られた墓の先例に従ったものです。墓の下には祭祀を行う部屋(祭室)がありましたが、1970年に行われた道路拡張工事によりなくなってしまいました。
2024-11-29
キョンサンブク道アンドン市プンチョン面クァンドクソルバッギル72
「芙蓉台(プヨンデ)」は太白山脈の端に位置しており、頂上から安東河回村を一望できる観光名所のひとつです。芙蓉台という名は中国の故事からとったもので芙蓉はハスの花を意味しています。河回村が形成された姿がハスの花のようであることに由来しており、河回村をもっともよく眺められることから芙蓉台と名付けられました。当初は「河回の北にある丘」という意味で「プエ(北厓)」と呼ばれていました。下には洛東江が曲がって流れるところに玉淵精舎、謙庵精舎、花川書院が構えています。
◎ 韓流旅行情報-バラエティ『私はSOLO』
16期の出演者たちがピクニックデートを楽しんだ場所で、洛東江のほとりで腰かけてお互いの想いを語り合った後、芙蓉台を背景に二人の写真を残すことでデートが終わりました。芙蓉台の頂上に登って、安東の代表観光地といえる河回村を眺めることもおすすめです。
2022-09-19
キョンサンブク道コリョン郡テガヤ邑チサン里サン23-1
テガヤ(大伽倻)邑の周囲を屏風のように取り囲む山の上に大伽倻時代の山城があります。その山城から南方に延びた稜線に沿って、大伽倻が成長し始めた400年頃から滅亡した562年の間に作られた大伽倻の王陵が並んでいます。ここには韓国で初めて発掘された殉葬墓の王陵である池山洞44号墳・45号墳を始め、王族・貴族が埋葬されたと推定される704基の大小の墓が分布しています。大伽倻独特の土器や鉄器、馬具を始め、王が使用していた金銅冠や耳飾りなど、華やかな装身具が多く出土した大伽倻最大の古墳群です。