華厳寺(화엄사) - エリア情報 - 韓国旅行情報

華厳寺(화엄사)

華厳寺(화엄사)

14.7Km    29399     2023-05-12

全羅南道 求礼郡 馬山面 華厳寺路539
+82-61-783-7600

「華厳寺(ファオムサ)」は求礼邑から東に5.4キロメートルのところにある智異山(チリサン)の麓にある千年古刹で、544年に縁起祖師が創建したといわれており、寺の名は「華厳経」の最初の二文字をとってつけたと伝えられています。
壬辰倭乱の際に全焼しましたが、仁祖の時代1630年~1636年に碧巌禅師らによっていくつかの建物が再建され、その後肅宗の時にその意志を受け継いだ桂波禅師により覚皇殿が完工しました。
華厳寺では国宝4点、宝物5点、天然記念物1点、地方文化財2点を保有しており、20棟余りの建物が配置されています。覚皇殿は国宝第67号に指定されており、現存する木造建築物としては韓国最大の規模で、その雄大な姿は見る人を圧倒します。覚皇殿前の庭に建てられた石灯籠は高さ6.3メートル、直径2.8メートルでこれもまた韓国最大の規模であり、統一新羅時代の仏教中興期のきらびやかな彫刻芸術を見せる作品で、国宝第12号に指定されています。

文化財
華厳寺覚皇殿前石灯(国宝第12号)
華厳寺四獅子三層石塔(国宝第35号)
華厳寺覚皇殿(国宝第67号)
華厳寺霊山会掛仏幀(国宝第301号)
華厳寺東五層石塔(宝物第132号)
華厳寺西五層石塔(宝物第133号)
華厳寺大雄殿(宝物第299号)
華厳寺円通殿前獅子塔(宝物第300号)
華厳寺華厳石経(宝物第1040号)
華厳寺エドヒガン(天然記念物第38号)
華厳寺普済楼(全羅南道有形文化財第49号)
華厳寺九層庵石灯(全羅南道有形文化財第132号)

七仙渓谷(智異山)(칠선계곡(지리산))

七仙渓谷(智異山)(칠선계곡(지리산))

14.8Km    76522     2022-07-08

キョンサンナム道ハミャン郡マチョン面 チュソン里

「七仙(チルソン)渓谷」は智異山最大の渓谷美を誇り、雪岳山の千仏洞渓谷、漢拏山の耽羅渓谷と共に韓国の3大渓谷と言われています。智異山の代表的な渓谷でありながら険しい山々と秀麗な景観、そして智異山最後の原始林を挟んでいる七仙渓谷は7つの滝と33つの沼がつくる仙郷が、馬川面から天王峰まで16キロにものぼります。奥に入れば入るほど谷は鋭くなり、渓谷はその険峻によって多くの命を奪ってきたため別名「死の谷間」とも呼ばれています。

ペムサゴル臥雲村(뱀사골 와운마을)

ペムサゴル臥雲村(뱀사골 와운마을)

15.1Km    0     2024-04-08

チョンブク特別自治道ナムォン市サンネ面ワウンギル249

智異山ペムサゴル臥雲村(ワウンマウル)は智異山国立公園に属し、天然記念物に指定されている智異山千年松(別名おばあさんの木)をはじめ、紅葉など自然に恵まれたところです。

智異山ヘッサル[韓国観光品質認証] (지리산햇살 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

智異山ヘッサル[韓国観光品質認証] (지리산햇살 [한국관광 품질인증/Korea Quality])

15.2Km    149     2021-03-27

全羅南道求礼郡馬山面ファオムサロ386-3
+82-61-783-9600

智異山国立公園の智異山南部探訪案内所から300m離れているホテルである。オレンジ色の屋根が美しい赤レンガ建物の前には緑の庭園があり、郊外の田園住宅を連想させる。ホテルの後ろには智異山と蟾津江支流である馬山川が秀麗な風景を誇っている。客室は5タイプで、2・4・6人部屋がある。毎日掃除サービスを提供するため、連泊してもきれいな環境で宿泊できる。白い壁とウッドフローリングが調和を成した客室は、必要なものだけ用意し、シンプルですっきりした印象を与える。客室の大きい窓からは庭園または山が眺められる。4人部屋であるオンドル室を除いたすべての客室にはベッドがある。6人部屋である特室にはウッドデッキがあり、渓谷の水が流れる音を聞きながらバーベキューを楽しむことができる。求礼公営バスターミナルからホテルまでは車で10分かかる。ホテルから2km離れたところに千年の歴史を誇る華厳寺がある。求礼五日市場と国家民俗文化財第8号の求礼雲鳥楼故宅までは車で約10分かかる。

智異山国立公園(咸陽)(지리산국립공원(함양))

智異山国立公園(咸陽)(지리산국립공원(함양))

15.3Km    33106     2021-01-28

慶尚南道 咸陽郡 馬川面 白武洞路
+82-55-970-1000

1967年12月29日韓国初の国立公園に指定された智異山(チリサン)は全羅南道、全羅北道、慶尚南道の3つの道と南原市、求礼郡、河東郡、山清郡、咸陽郡の5つの市郡にまたがる大規模な国立公園です。面積は483.022平方キロメートルで、22ある国立公園のうち最も広い面積を誇る山岳型国立公園となっています。慶尚南道エリアには双磎寺、大源寺、内院寺、法界寺、七仏寺、実相寺などの寺を含め、滝や渓谷といった観光資原が豊かであり、特に咸陽エリアでは七仙渓谷、韓信渓谷が有名です。

智異山国立公園(智異山 老姑壇)(지리산국립공원(지리산 노고단))

智異山国立公園(智異山 老姑壇)(지리산국립공원(지리산 노고단))

15.6Km    19345     2021-12-28

全羅南道 求礼郡 馬山面 華厳寺路356

「智異山(チリサン)国立公園」は3つの道、1つの市、3つの郡に広がる公園です。数十個もの峰がくねくねと続きながら広がるシルエットは、母親の懐のような温もりを感じさせてくれます。また、季節ごとに美しい渓谷や滝を見れるのも特徴のひとつです。
智異山は季節ごとに様々な姿を見せてくれますが、夏と冬は雨や雪の降る日が多いため、春と秋に探訪することをお勧めします。

ペムサゴル智異山食堂(뱀사골 지리산식당)

15.7Km    3520     2024-04-08

チョンブク特別自治道ナムウォン市サンネ面チリサンロ271
+82-63-626-8800

ペムサゴル智異山(チリサン)食堂は、鶏肉の水炊き、黒豚肉焼きの専門店です。智異山から採取したナムルと韓方食材を使って健康的な料理を作ります。ビビンバとどんぐりこんにゃくの和え物、蔓人蔘焼きなどもあります。達宮渓谷(タルグンゲゴク)に設置された平台でも食事ができます。

白雲山(光陽)(백운산(광양))

白雲山(光陽)(백운산(광양))

16.1Km    30196     2022-08-30

チョンラナム道クァンヤン市オンニョン面
+82-61-797-2655

韓半島南端の中央部に聳える「白雲山(ペグンサン・1,222.2メートル)」は、鳳凰・豚・狐の神が宿る山として知られています。
韓半島の南北に連なる大山脈・白頭大幹から枝分かれし、韓国南西部・湖南地方の山脈である湖南正脈の南に白雲山は位置し、その山脈に沿うように蟾津江(ソムジンガン)の流れが形成されています。
また、900種を超える植物が分布する植物の宝庫としても注目されています。蟾津江を挟んで北側に韓国の名山として知られる智異山(チリサン)、そして南側にこの白雲山があります。勇壮な智異山と絵画のように美しい風景が広がる閑麗水道を一望できるのが白雲山の魅力です。登山道も比較的緩やかなので誰でも登ることができます。
白雲山の中腹には鬱蒼と茂ったソウル大学の演習林があり、約900種の珍しい植物が自生しています。これは済州島の漢拏山(ハルラサン)に次ぐ多さです。頂上に上ると北側に智異山系の稜線がパノラマのように広がり、その手前には青みを帯びて光る蟾津江の流れを望むことができます。南側には億仏峰(オクプルボン)が神秘に満ちた姿でそびえ、その背後には数多くの島が点在している閑麗水道が見えます。原始林から流れてきた澄んだ水は白雲山の4大渓谷である成仏渓谷、東谷渓谷、於峙渓谷、金川渓谷へ流れ込み、夏になると避暑客であふれます。
玉龍面のトンドン村で採取したイタヤカエデの樹液・コロスェ薬水は神経痛、腰痛などに効能があるという噂が広まり、白雲山コロスェ薬水祭りがある初春にはこのイタヤカエデの樹液を求めて観光客が大勢やってきます。

達宮渓谷(달궁계곡)

達宮渓谷(달궁계곡)

16.5Km    47073     2024-04-08

チョンブク特別自治道ナムォン市サンネ面チリサンロ

達宮(タルグン)渓谷は、智異山(チリサン)国立公園内にある渓谷です。達宮村からシムォン村までの6キロメートルに渡って渓流が流れ、鬱蒼とした原生林の間にあり、手付かずの自然の姿が見られます。渓谷と崖が調和して絶景を織りなしており、近くの達宮村には、古代国家の馬韓(マハン)の宮殿跡が残っています。

泉隠寺(求礼)(천은사(구례))

16.8Km    8751     2023-01-25

チョンラナム道クリェ郡クァンウィ面ノゴダンロ209
+82-61-781-4800

「泉隠寺(チョヌンサ)」は統一新羅時代に創建された古寺で、智異山の西南側に位置しており、大韓仏教曹渓宗 第19教区の本社である華厳寺の末寺として華厳寺、双磎寺とともに智異山3大寺院のひとつに選ばれています。泉隠寺は智異山の中でも特に明るく温暖な場所にあり、深い渓谷から流れ出る澄んだ水が寺の横を流れ、周りは雄大な山々に囲まれています。
泉隠寺のもともとの名前は、828年にインドの僧侶と韓国の徳雲祖師が寺を創建した当時、境内に露のように冷たく澄んだ泉が湧いていることから甘露寺と呼んでいました。この泉の水を飲むと心(精神)が洗われるといい、多くの僧侶が訪れたり、高麗の忠烈王の時には「南方第一寺院」に昇格されたりしました。ところが、壬辰倭乱で寺が燃え改築した際、大きな蛇が泉によく現れ、捕まえて殺したところ泉の水が出なくなったといいます。そこから「泉が隠れた」という意味で名前を泉隠寺に変えましたが、その後も何度も火事と災難にみまわれ、村人たちは寺を守っていた蛇を殺したせいだと恐れました。この知らせを聞いた朝鮮4大名筆の1人である李匡師が、まるで水の流れるような書体で「智異山 泉隠寺」という文字を書き、門に掛けたところ、火事が起こらなくなったといわれています。