16.1Km 2021-03-26
ソウル特別市 鐘路区 恵化路12
+82-2-2148-1114
ソウル市鐘路区鐘路5街交差点から恵化洞ロータリーまでの1.1キロメートルの通りを、この一帯の特性をいかした文化芸術の通りとして開発し、「大学路(テハンノ)」と呼んでいます。大小さまざまな劇場があり、韓国における演劇公演の中心地であるとともに、個性あるファッション、文化、グルメ店が集まる複合文化エリアでもあります。
マロニエ公園を中心に、文芸振興院や文芸会館といった各種芸術団体や劇場などの文化施設が密集している芸術と文化の通りとなっており、週末ごとに多彩なストリート公演が披露されます。また、春・夏にはユニークなストリートフェスティバルも開かれます。
16.1Km 2024-03-18
ソウル特別市チョンノ区セジョンロ1-68
ソウル光化門(クァンファムン)広場にある忠武公(チュンムゴン)李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像です。李舜臣将軍は、日本が朝鮮に侵攻した壬辰倭乱(1592~1598)の時、海軍司令官として先進的な戦術により日本の海軍との23回にわたる戦いですべて勝利を収めた名将で、韓国史上最も優れた武将の一人とされています。韓国の100ウォン玉には李舜臣将軍の肖像が刻まれています。
16.1Km 2025-05-07
キョンギ道スウォン市ヨントン区チャンニョンデロ265
水原(スウォン)博物館は地下1階・地上2階で、水原歴史博物館、韓国書芸博物館など2つの常設展示館と特別展示室で構成されています。五感を使って楽しんで学ぶ子ども体験室、多彩な教育プログラムなどを運営している他、水原地域で発掘された遺物、購入および寄贈された遺物など約48,000点を所蔵しています。
水原歴史博物館は水原の歴史と文化を過去・現在・未来の視点とテーマ別に構成しています。大きく4つで構成された展示館は「水原の自然環境」、「先史・歴史時代の変遷史」、「水原路の開設」、「60年代の水原」、「近代水原の文化」で過去の歴史と文化だけでなく、現代の発展したダイナミックな水原を見ることができます。
韓国書芸博物館は地方自治体では初の書芸専門博物館で、韓国の書芸史を一目で見ることができます。展示は遺物の時期と特性によってそれぞれの展示テーマで構成されており、朝鮮時代の舎廊房(サランバン/広間)が再現されています。重要作品としては英祖と正祖が書いた御筆帖などがあります。
16.1Km 2024-04-16
ソウル特別市チョンノ区テハンロ101
ソウル大学病院医学博物館は、韓国で最も古い近代病院の建物である大韓(テハン)医院本館に位置しています。韓国における近代医学の発展と医療機器の変遷、ソウル大学病院の変遷を理解することができる医学専門の博物館です。常設展示と特別展を通じて医学関連の遺物や文書を展示しています。
16.1Km 2024-08-05
ソウル特別市チョンノ区セジョンデロ172
2022年8月に新たな姿にリノベーションされ、一般開放された光化門(クァンファムン)広場。600年の歴史を持つソウルの中心にある通り、世宗路のかつての姿である六曹通りの復元を通じ、歴史・文化体験空間として生まれ変わりました。入口の「光化門の歴史をよみがえらせる広場」には月台(ウォルテ)が再現され、悪霊を祓うという想像上の動物ヘテ像が復元されました。また、世宗路公園周辺エリアの「六曹通りの風景を再現した広場」には、かつて漢陽の中心だった六曹通りの面影を再現し、ジオラマも設置されています。景福宮や北岳山などの美しい自然景観を望みながら散策するのにぴったりです。
16.1Km 2025-05-15
ソウル特別市ヨンドゥンポ区トリムロ128ガギル13-8
ソウル永登浦区文来洞(ヨンドゥンポグ・ムルレドン)の芸術村は、かつてソウル最大の鉄鋼工業団地地帯と呼ばれた鉄鋼所の路地に芸術家たちが集まり、芸術と鉄工所が共存する空間に生まれ変わったスポット。2010年にソウル文化財団が芸術家のために創作空間「文来芸術工場」を建て、リーズナブルな賃貸料と独特な雰囲気に引かれた芸術家たちが一人二人と集まってできました。文来創作村と呼ばれ、捨てられた鉄や古い道具類を活用した作品が路地の各所に配置され、ビンテージな雰囲気の写真が撮れると人気です。映画『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』、『アジョシ』、『ザ・メイヤー 特別市民』、KBS2ドラマ『推理の女王2~恋の捜査線に進展アリ?!~』、MBCバラエティ『遊ぶなら何する?』のロケ地としても知られています。
16.1Km 2021-12-23
ソウル特別市 鐘路区 大学路103 (蓮建洞)ソウル大学保健大学院
+82-2-2148-1842
ソウル大学病院構内にある2階建てレンガ造りの建物が「大韓医院(テハニウォン)」の建物です。
大韓医院は1907年、大韓帝国政府がこれに先駆けて立てた内務府所管の広済院と学部所管の京城医学校付属病院、宮内府所管の大韓赤十字病院などを統合し、議政府直属の医院として設立されました。
1907年、大韓医院の設立発表と同時に、宅地部建築所の日本人技術者の矢橋賢吉による設計で本館と別室7棟、そして付属の建物などが着工となり、1908年竣工しました。建物が完成するまで、大韓医院は、広済院に置かれ、1910年日帝強占期の開始と共に、総督府医院に変えられました。1911年には付属医学教習所と改称し、1926年には京城帝国病院に編入し、大学病院となりました。1945年の開放以降は、ソウル大学校付属病院となり、今に至っています。
現在現存しているのは竣工当時の本館だけで、この建物は中央府の時計塔を中心に両サイドは羽のように広がり、正面は突出した形になった2階立てのレンガ造りの建物です。
規模
面積10,181,91平方メートル