6.3Km 2022-09-16
ソウル特別市クァンジン区ノンドンロ209
世宗(セジョン)大学博物館は、本校創立者のチュ・ヨンハ博士とチェ・オクチャ博士が40年にわたり収集した民俗品、木工芸、衣装、装身具、陶磁器、絵画などを分類、展示しています。
この博物館は1959年忠武路校舎に付設されていた「首都画廊」がその始まりで、その後校舎が現在の君子洞に移転し、1965年には世宗館1階に「民俗館」としてオープンしました。1968年8月に「愛智軒」北棟に民俗館「現・世宗画廊」を新築・拡大し、常設展示館として、学術研究に貢献してきました。その後1973年5月5日、韓国固有の百済塔様式の4階建ての鉄筋コンクリート建築物を開館し、1977年5月20日、これを増築しました。
本校が1979年に世宗大学に改編されたことで博物館の名前も「世宗博物館」となり、今日に至っています。韓国の文化・芸術・民俗・考古学などの研究において、国内外の学者らに実物や各種資料を提供し続けています。
6.3Km 2024-08-05
ソウルトゥクピョルシ カンナムグ ケポロ118(ベクシブパル)ギル 64
+82-10-3908-1617
「イェボンノジブ」は、一戸建てで、1階の全体をゲストハウスとして運営しています。部屋2室とリビング、キッチン、トイレ2つを含む空間が一つの客室として提供され、満足度が高く、海外の同胞やカナダ、アメリカ、ロシア、オランダなどの様々な国の旅行客が好んで訪れます。あちこちに配置された100年以上の古家具、ザゲジャン、手編みの覆いなどは、韓国の趣と文化を伝えています。江南に位置しているのでアクセスが良いです。
6.3Km 2024-07-08
ソウル特別市チョンノ区チャンギョングンロ88
朝鮮時代末期から大韓帝国時代に至る時期の韓国は、国内の情勢が混迷を極め、日本・中国など列強勢力がしのぎを削る場となり、韓国の運命は風前の灯でした。そんな中、1905年・高宗42年の乙巳(ウルサ)条約(第二次韓日協約)締結により、実質的な韓国の国権は日本に掌握され、これを契機に日本は経済における侵略政策を企てたました。その一例として、南大門市場の経営権掌握があり、更なる新しい経済的な突破口を開いたのが、鐘路(チョンノ)にある広蔵市場(クァンジャンシジャン)でした。広蔵市場は乙巳条約が締結された同じ年・1905年に韓国初の常設市場として誕生しました。
元々、広蔵市場は、広橋(クァンギョ)と長橋(チャンギョ)の間の清渓川(チョンゲチョン)を暗渠化し市場を作ろうと計画され、その橋の名前の一文字ずつを取って広長市場と名付けられましたが、結局、市場はペオゲ(梨峴=イヒョン)と呼ばれた現在の位置に開設されることとなり、当初計画時の市場の名称の韓国語発音をそのままに漢字表記のみを変え、「広く集め蔵に入れておく」という広蔵市場という名称に落ち着きました。
市場開設当時、主な取扱品は農産物、薪炭などで、ソウル郊外の加平(カピョン)、トゥクソム、利川(イチョン)、鉄原(チョロン)などから牛馬に引かれ運ばれる品物を売る小規模な何も変哲のない一介の市場でしかありませんでした。しかし、市場開設以来100年を優に超えた現在、取り扱われる商品は多岐に渡り、絹織物、韓服やスーツ、洋服などの生地、女性ファッション、カーテン生地、寝具、手芸品、螺鈿漆器、厨房用品、輸入品、青果、鮮魚、精肉、乾物、祭祀用品など、多くの品物が取引される総合市場に成長しました。
広蔵市場で最も人の往来が激しく賑わっているエリアは東門、北2門、南1門が交わるグルメ市場です。広蔵市場のグルメ市場は年齢を問わずおすすめのグルメスポットです。現在では世界の人々が訪れる観光コースに成長し、外国人観光客に人気の観光スポットとして有名な市場となりました。
6.3Km 2024-03-12
ソウル特別市チュン区ミョンドン7ギル21
+82-2-756-2300
高峰(コボン)サムゲタンは、明洞(ミョンドン)通りに位置しているサムゲタン専門店です。ここのサムゲタンは身体に良い韓方材をたっぷり入れてスタミナ強化に役立ちます。サムゲタンの他にも鶏肉粥、チムダク(韓国風のソーシチキン炒め)と共に鴨の燻製焼きも扱っています。
6.3Km 2021-03-16
ソウル特別市 中区 明洞7キル 21
+82-2-3789-6780
ソウル特別市のミョン洞に位置したチキン専門店です。おすすめはパリパリチキンです。フュージョン韓国料理スタイルのチキン専門店です。