5.7Km 2021-04-05
ソウル特別市 西大門区 イファヨデ2ガギル24
+82-2-6406-2172
快適で居心地の良いカフェです。ソウル特別市のソデムン区に位置したカフェ(コーヒーショップ)です。おすすめはパンケーキです。
5.7Km 2022-09-13
ソウル特別市ソデムン区イファヨデギル52
「梨花(イファ)ウェルカムセンター」は2013年韓国の大学初の大学グローバル広報館であり総合訪問者センターで、インフォメーションデスクと展示ラウンジ、記念品ショップがあります。
インフォメーションデスクでは訪問客が梨花女子大学のキャンパスの情報や、大学の情報を知ることができ、展示ラウンジでは梨花女子大学の歴史と伝統、今日と明日を一目で見ることの出来る常設展示があります。また、記念品ショップでは梨花女子大学訪問者のための様々な記念品が販売されています。この他にも、外国人訪問客のためのキャンパスツアーが英語と中国語で行われています。
5.7Km 2022-09-14
ソウル特別市ソデムン区イファヨデギル52
梨花女子大学博物館は1935年の日帝強占期に韓国の文化遺産を保存しようと教授と学生たちが集めた民俗品、木工品、陶磁器などを本館1階に陳列・展示したものが創設のきっかけです。
博物館では学生や一般人のために所蔵品特別展を1972年から毎年開催しており、1996年からは梨花女子大学博物館の名品を分野別に再評価する特別展や小規模特別テーマ展なども開催し、文化、芸術の社会教育使命を果たしています。
特に陶磁研究専門機関として窯跡の発掘や調査研究に注力しています。遺物の保存管理、学問的調査研究のために全国各地の遺跡の発掘調査など現地調査も並行しており、図録の発刊や調査報告書の発刊、文化財に対する学界および一般人の関心と理解を高めています。
5.7Km 2021-05-07
ソウル特別市 麻浦区 麻浦大路 58
仁川国際空港から1時間圏内と比較的近くにあるソウル市内の特級ホテル・ベストウェスタンプレミア ソウルガーデンホテル。汝矣島(ヨイド)一帯のビジネスタウンやショッピングの名所・梨泰院(イテウォン)、南大門(ナンデムン)などにも近く、ビジネスや観光での利用に便利です。
格式あるサービスと施設、そしてリーズナブルな料金で、ビジネスのお客様、観光でお越しのお客様を問わずすべての方に最適なホテルとして脚光を浴びています。
ソウル・麻浦(マポ)地区唯一の特級ホテル・ベルトウエスタンプレミア・ガーデンホテルは麻浦-汝矣島を繋ぐビジネスタウンの中心にあります。麻浦大橋を渡るとそこは汝矣島で、国会議事堂、証券取引所、KBSなど政財界・放送局などのさまざまな主要施設が密集している地域で、汝矣島公園、漢江遊覧船船着場なども近くにあります。
ソウル地下鉄5号線麻浦駅が近くにあり、ホテルへは金浦国際空港から乗りなしで行くことができます。また仁川国際空港からは50分ほどの距離で、空港からもっとも近いソウルの特級ホテルとなっています。
ショッピングの名所・梨泰院や南大門市場も車で20分ほどの距離で、ウエディング街として有名な阿峴洞(アヒョンドン)は車で10分の距離と大変近くにあります。
ベストウエスタンプレミアソウルガーデンホテルは全372室あり、4つの専門レストラン、バンケットルーム、ビジネスセンター、フィットネスセンターなどがあります。
5.7Km 2021-04-05
ソウル特別市 東大門区 キョンフィデロ20
+82-2-966-1652
大学の近くにあり、若者たちがよく訪れる店です。代表的なメニューはパスタです。ソウル特別市のドンデムン区に位置した洋食専門店です。
5.7Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。