3.3Km 2021-02-02
ソウル特別市 中区 世宗大路11キル35
南北赤十字会談が行われた際、北側代表団一行に出された冷麺として有名な江西麺屋(カンソミョノク)。50年間平壌冷麺の伝統を受け継いでいるお店です。江原道原産の蕎麦と澱粉を秘伝の比率で加え製麺したコシのある麺に、牛ばら肉をじっくり煮込んで作ったスープとトンチミを加え、さっぱりした味わいのスープが絶品です。
3.3Km 2021-12-20
ソウル特別市 中区 南大門市場4キル 21
南大門(ナンデムン)中央商店街は各種レディース用品や韓国の特色ある製品を取り揃えている市場です。1階の婦人服専門売り場には韓国全国の様々なデザインの婦人服があり、また近くにはアクセサリー専門店もあることから、ショッピングを楽しむ女性客が数多く訪れる市場です。2階には外国人に人気のある韓国の民芸品や伝統工芸品を取り扱う店舗が多くあり、生地、手芸用品、寝具、伝統婚礼用品などの商品のラインナップも充実しています。
3.3Km 2021-12-07
ソウル特別市 中区 南大門市場4キル 21
南大門市場は衣類や輸入品が有名ですが、単一品目を取り扱う商店街として規模が大きいのがこのアクセサリー商店街です。退渓路沿いの南大門市場側や南大門路の市場側に店舗が集中しており、約2,000店のアクセサリー専門店が並んでいます。一つの品目だけを専門に取り扱う店舗が多く、金・銀メッキ、自然素材、プラスチックなどで作られたヘアピン、アンクレット、ネックレスなどのアクセサリーや、衣類や帽子などに付けるアクセサリーを直接製造・販売し、韓国国内のみならず、海外でも専門アクセサリー商店街として知られています。
3.3Km 2025-03-19
ソウル特別市トンデムン区ヤンニョンジュンアンロ26
ソウル薬令市は韓国で取引される生薬の70パーセントを取り扱っている薬材専門市場で、韓方医院や韓方薬局など韓方関連の業者が1000軒以上集まっている韓方のテーマタウン。韓方文化の中心といえるこの場所に位置するソウル韓方振興センターは、様々な展示や教育、体験によって伝統韓医学の優れた価値と安全性を広める韓方複合文化施設です。現代建築のシンプルさと韓国的な気品が調和した建物が目を引きます。300種以上の薬材とその効能を見ながら韓医学への理解を深められる韓医薬博物館、韓方天然パックやハーブ温熱罨法などを体験できる韓方体験室、生薬を用いた健康レシピをチェックして 体に良い料理を作れる薬膳料理体験館など、センター内の様々な施設で韓方にまつわる多彩な体験ができます。
3.3Km 2021-12-21
ソウル特別市 中区 南大門市場2キル3-2
本洞衣類商店街は伝統的な在来市場で、専門食堂街(タチウオの煮付け通り)や精肉店、食品店、雑貨店などがあります。中央路には外国人観光客に人気の海苔や高麗人参など、韓国固有の食品・雑貨店が並んでおり、西側の路地沿いには文具や各種美術用品、有名小型家電などの店が集まっています。
3.3Km 2023-04-06
ソウル特別市 東大門区 薬令中央路26
+82-2-969-9241
「ソウル薬令市韓医薬博物館」は、韓国最大の韓方薬流通中心地であるソウル薬令市に位置しています。韓国の伝統韓医薬関連の遺物や韓方薬剤などの展示を行い、優れた韓医薬文化を継承・保存・発展させるため、2006年9月に設立されました。2017年10月ソウル薬令市韓医薬博物館はソウル韓方振興センター2階に移転し、伝統韓方のすばらしさを広報するとともに多様なプログラムを開発し、韓国を代表する韓方文化空間として定着しています。
3.3Km 2021-04-09
ソウル特別市 鐘路区 彰義門路118
「彰義門(チャンイムン)」は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。
城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。
彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。
彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。
時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。