貞洞グクシ(정동국시) - エリア情報 - 韓国旅行情報

貞洞グクシ(정동국시)

貞洞グクシ(정동국시)

571.8M    16465     2024-06-19

ソウル特別市チュン区チョンドンギル5

貞洞(チョンドン)グクシは韓牛の骨を15時間煮出した濃厚でありながらさっぱりしたスープが特徴のカルグクスが味わえる店。餃子スープにも同じ牛骨スープが使われています。餃子はお店で毎日手づくりしており、柔らかい皮とジューシーな柔らかい肉の味が楽しめます。貞洞ギャラリー、貞洞劇場、ソウル市立美術館などのある文化芸術エリアに位置しています。

ソウル 旧ロシア公使館(서울 구 러시아공사관)

ソウル 旧ロシア公使館(서울 구 러시아공사관)

572.8M    9196     2020-07-01

ソウル特別市 中区 貞洞キル21-18

ロシア公使館は朝鮮時代末期の韓露修好通商条約が批准された1885年に着工し、1890年に完成しました。ルネサンス様式のレンガ造りの2階建てで、ロシア人建築家サバティン(Sabatine)によって設計されたといわれています。公使館が建てられた場所は、朝鮮の第10代国王である燕山君が都城の外へ出掛けるときに便利なようにと設けた3つの馬場のひとつです。朝鮮の第26代国王である高宗が、日本をけん制するためにアメリカ領事館、イギリス領事館、ロシア公使館を徳寿宮の近くに置いたという話が伝わっています。ロシア公使館は俄館(アグァン)と呼ばれ、韓国では高宗の俄館播遷(アグァンパチョン/高宗がロシア公使館に移り住み、執政をとったこと)でよく知られています。

乙未事変で明成皇后が日本軍に殺害されて親日内閣になると、景福宮に幽閉された状態であった高宗を親露派の李範晋やロシア公使のヴェーバーが保護することを目的に1896年2月1日、王世子とともにロシア公使館に移りました。そして金弘集内閣を崩壊させ、親露の朴定陽内閣を組織するなどの国政を執り行い、翌年2月20日、慶運宮(徳寿宮の以前の名称)に移るまでの一連の流れを俄館播遷といいます。

※面積:1,102平方メートル

大都総合商店街(대도종합상가)

大都総合商店街(대도종합상가)

572.4M    14578     2021-12-21

ソウル特別市 中区 南大門市場4キル9

大都(テド)総合商店街は各種輸入品や生活雑貨、各種メンズアクセサリー、そして南大門市場内で最も多くのインテリア小物を取り扱っている専門商店街です。各店舗には多くの商品がディスプレイされており、特に小物や厨房用品は多種多様な品揃えとなっています。

[事後免税店] キム眼鏡(김안경)

[事後免税店] キム眼鏡(김안경)

572.8M    0     2024-06-27

ソウル特別市チュン区ナムデムンシジャン4ギル9(ナムチャン洞)

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[事後免税店] キム眼鏡(김안경)

572.8M    0     2024-06-27

ソウル特別市チュン区ナムデムンシジャン4ギル9 テド総合商店街 D棟 1階 外向10号

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[事後免税店] トケビ(도깨비)

572.8M    0     2024-06-27

ソウル特別市チュン区ナムデムンシジャン4ギル9

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[事後免税店] インド芸術(인도예술)

572.8M    0     2024-06-27

ソウル特別市チュン区ナムデムンシジャン4ギル9 テド総合商店街 D棟 1階 61号

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[事後免税店] テサン総合厨房(태산종합주방)

572.8M    0     2024-06-27

ソウル特別市チュン区ナムデムンシジャン4ギル9 D棟 3階 35号

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比珍島海鮮土鍋 ( 비진도해물뚝배기 )

比珍島海鮮土鍋 ( 비진도해물뚝배기 )

577.1M    39     2021-04-01

ソウル特別市 西大門区 西小門路 53
+82-2-312-2867

サラリーマンだけでなく、観光客にも人気の店です。 ソウル特別市のソデムン区に位置した海鮮専門店です。代表的なメニューは海鮮土鍋です。

圜丘壇(환구단)

圜丘壇(환구단)

581.6M    22737     2020-12-18

ソウル特別市 中区 小公路112

「圜丘壇(ファングダン)」は天に祭祀を捧げた祭天壇です。韓国の祭天儀礼は三国時代から豊作を祈ったり雨ごいを行うことから始まりました。『高麗史』によると制度化された圜丘祭は、高麗・成宗の時からと伝わっています。朝鮮初期には祭天儀礼はさほど重要性を持つことができず抑制され、世祖の時代には王権強化のために圜丘祭を復活させたものの世祖10年には廃止されました。高宗が大韓帝国の皇帝に即位すると天子(皇帝)として祭天儀式を行うようになりました。今の圜丘壇は1897年(高宗34年)、高宗の皇帝即位式と祭祀を執り行えるように、昔の南別宮址につくられた壇地です。その後、壇地内には花崗岩でつくられた基壇の上に3階八角屋根の皇穹宇を1899年に増築して神位版が奉安され、1902年には高宗即位40周年を記念して皇穹宇横に石鼓壇がつくられました。日帝強占期に圜丘壇の一部を取り壊し朝鮮ホテルが建設され、現在は皇穹宇、石鼓、3つのアーチを持つ石造りの三門が残っています。