13.9Km 2025-04-02
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177
臨津閣(イムジンガク)は韓国戦争の悲劇が残る場所です。戦争の痕跡を見学し、平和の大切さを学ぶことができます。多くの戦争遺物が散在しており、青い芝生が広がる平和ヌリ公園や展示館もあり、多くの観光客が訪れています。
臨津閣一帯は韓国戦争で激戦地となったところです。戦争が始まったころに爆破され、現在まで残っている「臨津江鉄橋」や、共産軍の捕虜となっていた韓国軍と国連軍が自由を求めて渡った「自由の橋」があります。北韓失郷民のために臨津閣が建てられ、臨津閣観光地に指定されました。現在は平和ヌリ、臨津閣平和ゴンドラ、6.25戦争拉北者記念館、遊園地などの新しい施設ができ、大規模な観光スポットとなりました。
戦争遺物
1.臨津閣
2.望拝壇
3.自由の橋
4.京義線チャンダン駅の蒸気機関車
5.参戦記念碑・追慕碑
13.9Km 2024-11-29
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ148-53
臨津閣(イムジンガク)広場前の望拝壇(マンベダン)後方にある橋・自由の橋(チャユエタリ)。
1953年、韓国戦争で捕虜となった1万2,773人がこの橋を渡り南側へ帰還したことから、「自由の橋」と言われています。
元々京義線(キョンイソン)の鉄橋で、上下それぞれ1本ずつの橋がありましたが、韓国戦争中の爆撃により破壊され、橋脚のみ残っている状態でした。北に捕らえられた戦争捕虜を帰還させるため、臨津江(イムジンガン)下流(西)側の下り線にあった橋の橋脚に橋桁を架け、橋板を置いて復旧させ、この仮設の橋を完成させました。当時、捕虜らは車で京義線のこの橋の北端までやってきて、歩いてこの橋を渡りました。自由の橋は全長83メートル、幅4.5メートル、高さおよそ8メートルの規模を誇る橋です。
自由の橋は当時、木材を組んで造りましたが、特に荷重がかかる部分は鉄材も使いながら造りました。
仮設の橋であったため、建築的観点からはあまり素晴らしい点はありませんが、「自由への帰還」という象徴的な意味において、韓国戦争を代表する戦争遺産と言うべき橋です。
13.9Km 2021-02-06
京畿道 高陽市 一山東区 中央路1286
「高陽(コヤン)アラムヌリ」は、ジャンル別に特化して建設された専門公演芸術センターです。オペラ劇場「アラム劇場(1,887席)」、最上のアコースティック音響を誇る「アラム音楽堂(1,449席)」、可変型客席の「セラセ劇場(281席)」など3つの劇場の他、アラム美術館、ノルモク野外劇場、講義施設、カフェ、レストランなどを備えています。
オープン日
2007年5月4日
13.9Km 2024-02-20
キョンギ道キンポ市ヤンチョン邑ソンモロ5ボンギル34
031-996-5177
Gleen Parkは、様々な植物とオブジェが調和しているカフェです。1階には人工芝にキャンプ用のテーブルと椅子が置かれており、キャンプ場にいるような気分になります。2階にはハンモックやロッキングチェアがあり、ピクニック気分が味わえます。自家製のミスッカル(溶かして飲む穀物飲料用の粉末)で作ったオリジナルミスッカルがシグネチャーメニューです。
14.0Km 2024-11-11
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ177
+82-31-940-5281
坡州長湍豆祭りは京畿道(キョンギド)坡州(パジュ)市の臨津閣(イムジンガク)で開かれます。坡州付近の軍事境界線をはさんで南北に広がっていた長湍郡(チャンダングン)で栽培されていた大豆ということで長湍豆(チャンダンコン)という名前がつきました。地域特産物の消費促進及び地域経済活性化を図るために、1997年から毎年11月の豆の収穫時期に合わせて開催されています。
14.0Km 2025-04-23
キョンギ道パジュ市ムンサン邑イムジンガクロ115
「臨津江(イムジンガン)駅」は南北鉄道連結事業における最初の駅として2001年9月30日に営業を開始しました。臨津閣国民観光地付近にあります。
14.0Km 2025-03-20
キョンギ道パジュ市イムジンガクロ148-57
韓半島を南北に分断するDMZに残されている大自然、その恵まれた環境の中で日々生きているさまざまな動物や植物たち、そして美しい風景や歴史の足跡など、DMZの素晴らしさを臨場感あふれるデジタルメディアを通じて体験し楽しむことができる場所がここ、DMZセンセンヌリです。